Voice 二周目の日本で見えてきたもの
 私が国内旅行を好きになった原点は、子どもの頃の家族旅行にある。両親が旅好きで、地元広島から中四国、九州地方をよく訪問していた。移動はマイカー、宿は国民宿舎。夏はキャンプ、冬はスキーと、季節ごとの楽しみがあり、旅はいつも生活の延長線にあった。

 小学生の頃、家族で訪れた東京への旅行は、当時の私たちにとって一大イベントだった。広島から東京へ行くというだけで特別で、両親はきっと綿密に計画を立てていたのだと思う。東京ディズニーランドの記憶は今も鮮明だ。乗り物そのものよりも、園内の景色や食べたもの、そして何より楽しそうにしている両親の姿が強く印象に残っている。上野動物園でパンダを見た帰り、上野駅で激しく口論する男女を見かけ、「こんな光景は広島では見ないね」と家族で驚いたことも覚えている。旅は知らない場所を見るだけでなく、知らない価値観に触れる時間でもあった。このとき初めて乗った新幹線は、私にとって特別な存在になった。流れる景色、スピード感、車内の空気。今でも電車での移動が好きなのは、この体験が原点にあるのだと思う。

 大学入学後は旅行サークルに入り、自分の足で旅をするようになった。卒業する頃には西日本を制覇。その後は鈍行列車で東北を一気に回るなど、とにかく「行くこと」そのものに価値を感じていた。旅先では必ず地元の食を楽しんだ。富山の寒ブリ、石川のズワイガニや金沢おでん、熊本の馬刺し、香川のうどん、高知のカツオ、どれもその土地でしか味わえない記憶として残っている。

こうして日本一周を終え、現在は二周目に入り、国内旅行を続けている。だが、その旅の意味は大きく変わった。今では旅先で必ずスーパーに立ち寄り、地元の食材や惣菜を眺めるようになった。さらに不動産屋の店頭で賃貸物件の情報を見て、その土地で暮らす人の生活を想像することも楽しみの一つになっている。観光地を巡るだけでなく、「ここで暮らすとしたらどんな日常だろう」と思いを巡らせる時間が増えた。
 鈍行列車が好きなのも同じ理由だ。車窓からの景色だけでなく、乗り合わせた人たちの会話や雰囲気に、その土地の空気がにじむ。旅は単なる移動ではなく、日常の断片に触れる時間なのだと感じるようになった。

 昨年トラベル懇話会でのセミナーで耳にした「函館ホテル朝食バイキング戦争」の話がきっかけで、11月には実際に函館を訪れた。情報として知ることと、現地で体験することの間には大きな差がある。朝の空気の中で味わう食事や街の雰囲気は、言葉だけでは伝わらない。その場に身を置いて初めて理解できるものがあった。

 そういえば私は海外で挙式をしたのだが、両親や妹夫婦をグアムに招き、家族にとって初めての海外旅行をプレゼントしたことがある。そのときは旅行代理店の方々に大変お世話になった。慣れない海外での移動や手配を支えてもらい、家族全員が安心してその時間を楽しむことができた。子どもの頃、両親が一生懸命計画してくれていた旅の背景にあったものを、少しだけ理解できた気がした瞬間でもあった。

 振り返ると、私にとって旅とは、景色を見ることではなく、そこで営まれている暮らしに思いを巡らせることなのかもしれない。子どもの頃に感じた高揚感から始まり、今では少し視点を変えて土地を眺めるようになった。二周目の日本で見えてきたのは、観光の先にある「日常の豊かさ」だった。旅はこれからも、私の視野を少しずつ広げてくれる存在であり続ける。

著者:山本 由紀(三井住友海上火災保険株式会社)

掲載日:2026年05月14日