ミラノ・コルティナ冬季オリンピックは私の期待を遥かに超え、幕を閉じた。感動した。
毎度テレビで報道される日本のメダルの数は終わってみるとそれは素晴らしかった。でも心が熱くなったのは、涙、涙、歓喜の涙や悔し涙であった。それぞれの選手を心から賞賛したい。ただ、私が最も感動したのは、現地解説をする元選手や試合関係者の型にはまらない率直な歓喜やねぎらいの言葉だった。ある人は、こみ上げてくる感情を抑えようとしながらも(明らかに泣いていて)震える声で細かい解説を続けた。ある人は端的に「凄い、凄い、凄い!」と凄いを連発、褒め、称えていた。これには思わず笑った。元選手や先輩だからこそわかる苦労や成果が音声だけで伝わり、私はその解説ぶりに、清らかな感情や寄添う優しさに心が動かされた。つながりあう気持ちの美しさ。
競技場の一つであるドロミテ渓谷や白銀の山々も美しかった。イタリアに思いを馳せた。ダニエラは元気でいるだろうか?四半世紀以上も勤めたアメックスの同僚、イタリアの副社長。彼女とは苦楽を共にした。アジアパシフィックのレポートラインからEUROに変更された時は、正直たじろいだ。出張は少なくとも年2回、上司の居るブリスベン詣で、そこにイタリア、フランス、ドイツ、UK、オーストラリアと私が日本から参加する大会議。JAPAとは異質の雰囲気で慣れるまでとても緊張した。そのグループの姉御的存在がダニエラで、美しく賢いリーダーだった。日本からはさぞや大変だろう、と色々気遣ってくれた。数字が達成できない難儀な時はお互いに戦略変更、reforecastだの知恵を出し合った。大会議にはNYのHQからの参加もあるので、発表するプレゼン資料は国の威信をかけて?叡智を競うように毎年優れたものになっていった。目標が未達でも“だからこうする”というインサイトが磨かれていった。今となっては当時の苦しみが良い想い出で懐かしい。
イタリアは採用や人材経費に苦慮していた。同じEURO圏でも国ごとに厳しさや目標を達成できない理由がさまざまだ。ドイツは当時からコンプライアンスが厳しく、お客様との会話録音、モニターなど一切できない国の法律があった。グローバルというのは何が良いのか?考えさせられる局面も間々あった。それにしてもかけがえのないのは各国リーダー達との友情である。上司自ら、「君は折角ブライトンまで来るのだから、同僚のオフィスに立ち寄って帰れば?」と、そこで真っ先に訪問したのがイタリアオフィス。驚くほど小さなオフィスで社員も僅か、しかし、社員のプロ意識が卓越していた。代表を務めるダニエラはカード部門とトラベルも率いていたので、日々多忙な状況の中、「最高の1日にするわよ」、とキラキラのスポーツカーでローマ市内をぶっ飛ばし、夜景の素晴らしいレストランで色々語り合った。
「お返しに日本は私が案内するからね」と言ったきり、連絡は途絶えてしまった。ケアも出来ていない。オリンピックで思い出させてもらった。本当によろしくない。大反省だ。イタリアから早く呼び寄せねばならない。お互い、年を取り過ぎて動けなくなる前に。でも、会えなくても思い出す懐かしい時間は何物にもかえがたい。ダニエラだけでなく、競いあい助け合った同僚、上司、すべての人達に感謝の気持ちでいっぱいだ。つながりあう気持ちの美しさ。これから、益々、私が大切にしていきたいものである。
著者:萬年 良子(株式会社エイチ)
掲載日:2026年02月27日