静岡県西部、浜松市の舘山寺温泉は浜名湖に囲まれた自然豊かな場所で、子供の頃には海水浴や潮干狩り・海釣りなどで幾度となく訪れた場所です。ここには日本で唯一の(湖上を渡るロープウェイ)が運航しています。開業は昭和35年ですから、現天皇のお生まれ年で今年66年になります。15年ほど前の2011年、ひょんなことからそのロープウェイに乗る機会を得ました。幼少の頃以来2度目の舘山寺ロープウェイは風光明媚な浜名湖の景観を眼下に見ながら大草山(標高113m)に到着しました。頂上展望台は浜名湖のパノラマ景観が広がり晴れた日には富士山も見渡せるのですが、あいにくの曇天。冬の気配が漂う11月、太平洋から湖上を渡り一気に頂上展望台に噴き上げてくる強い寒風に早々に引き上げて温泉に浸かろう、と思ったのです。しかし、何か物足りないというか心残りのような衝動から頂上散策路を少しだけ歩く事にしたのです。するとハイキングコース入り口からほどない少し開けた場所に出たのです。そこに静かに佇む2基の石碑に私は目を見張る事となりました。時間が止まったような不思議な感覚でした。太平洋戦争におけるミャンマーと浜松のゆかりを記した『ビルマゆかりの碑』を前に2週間前の出来事を思わずにいられませんでした。
その日から遡ること2週間ほど前、取引先のあるお方からの依頼により都内某所で一人のミャンマー人と面談をしていました。2011年ミャンマーは軍政から部分的民政化の移行が始まり、自由を束縛されていたアウンサン・スーチー氏も解放されることとなり、最後のフロンティアとしてミャンマーが注目される年でした。まだ30代だというのに恰幅の良い彼は流暢な日本語で自己紹介と今後のビジネスの話を聞かせて頂きました。民主化へ進まんとする故郷に帰りたち観光事業への夢を静かにそして熱く語るのですが、急な面談日の決定(翌日にはミャンマーに帰国)でしたし、映画『ビルマの竪琴』くらいしか知識の無い私には即答できるはずもなく、まずは帰国して法人設立やライセンス取得など必要な手続きをしたうえで、改めて協議しましょうと伝え面談を終えました。人柄や誠実さもビジネスパートナーとして重要なポイントですが、彼の誠実な人柄に清々しさが残る面談となりました。北半球のアジアに位置するミャンマーが、南半球主体の当社の取扱地域に加わるファーストコンタクトでした。そして、冒頭の出来事は私にとっては単なる偶然とは思えない瞬間でした。
【ビルマゆかりの碑】浜松とビルマとのタンヨーズィン(縁)
浜松の地は、ビルマ独立運動の支援を任務として設立された特務機関(南機関)の長であった鈴木敬司大佐の出身地であり、『ビルマ建国の父』として知られるアウンサン将軍と縁深く、浜松で独立を目指すプランを練ったであろうとされています。大草山に二つ並んで立つ碑のひとつにはビルマ語で『ジャパン=ミャンマー・チッチーイエー(日本=ミャンマー友好』と刻まれており、当時の在日ビルマ大使が揮毫したものです。また、もう一つの碑は南機関の元機関員が中心になって以下の文章と共に建立されています。
この碑はビルマ国民に建国の父と仰がれるオンサン将軍が去る昭和十五年わが国に亡命して当地出身の鈴木敬司少将と共に祖国独立運動の秘策を練ったこのゆかりの地に建てられたものであります 太平洋戦争間彼の過酷なビルマ戦場で幾多春秋に富む若い身を祖国に捧げて散華された諸英霊は当静岡県出身者のみで二千七百余柱に及んでおります 今日のわが国の隆盛が一途に祖国の安泰と平和をこい願いつつ散華された尊い英霊の犠牲とそのご加護の賜である事は片時も忘れる事ができません ここに同志相図り静岡県及び浜松市ならびに関係市町村当局の御協賛を得てビルマゆかりの碑を建設しビルマ方面で戦没された諸英霊をお慰めすると共にオンサン将軍の史実を長くここに留めビルマとの友好を期する次第であります なお碑面のビルマ語は駐日ビルマ連邦大使ウチコーコー閣下の撰になり「ジャパンバマーチチエーテミエバセー」と発音し「日緬永遠の友好を」の意味であります 昭和四十九年五月十一日 ビルマゆかりの碑建設委員会 会長 飯田祥二郎
ビルマ連邦は1948年1月4日に独立を達成しましたが、残念ながらオンサン(アウンサン)将軍は独立を目前に1947年7月19日、制憲議会の場で政敵の手によって暗殺されました。時は移り、ビルマでは1962年以来26年間にわたり続いた軍部独裁政権への不満が爆発、大規模な民主化闘争が展開されました。1988年8月8日(8888)に民主化運動が最高潮に達した直後にアウンサン・スーチー氏が政治の舞台に登場し、彼女の言葉は国民の胸をうちました。『父の作った軍隊は国民に銃口を向けない。』『父が目指したのは平和な、民主主義の連邦国家です。』『私たちはこれから第二の独立闘争を戦います。』
同年9月、母国の民主化運動に呼応して日本からも声を上げようというビルマ人たち、およそ500名が大草山に集結しました。 (平和の翼ジャーナルVol 5より一部抜粋)
1989年7月 スーチー氏の言動が国家防御法に触れるとして軍により自宅軟禁。(1995年7月に解放後も政治活動の自由は認められなかった)
1989年 軍事政権により国号をミャンマーに変更。
1991年 スーチー氏にノーベル平和賞が授与された。
2000年 軍事政権は口実を設け再びスーチー氏を自宅軟禁とする。
2015年 総選挙でスーチー氏率いるNLDが勝利、スーチー氏が最高指導者に。(経済の開放の一方で、ロヒンギャ問題で国際批判が強まる)
2021年2月 軍事クーデター(軍が再び政権奪取、スーチー氏らを拘束、監禁)
2026年1月 国軍主導のもと総選挙実施。国軍系政党(USDP)が圧勝。
現在80歳となるスーチー氏は依然として軍の拘束が続いています。
著者:松本 晃(株式会社UTIジャパン)
掲載日:2026年02月27日