1988年6月。 入社してわずか2か月目の私に、上司から今では信じられない一言が告げられました。
「ヨーロッパへ添乗に行ってきてくれ」
お客様は、イタリア・フィレンツェで開催される紳士服の展示会を訪問する、ファッション関係の法人客約20名。現地でのアテンドを任されたのです。いわゆる当時よくあった「ヨーロッパ見本市視察ツアー」でした。
訪問都市は、フィレンツェ、ミラノ、パリ、ロンドン。 イタリア語もフランス語もまったく分からない。今思えば、ずいぶん無謀な時代でした。
最悪のスタートだった最初のイタリア
案の定、失敗の連続でした。
ミラノ空港では、荷物のターンテーブルでスーツケースを待っている間に、お客様を税関の外へ出してしまい、ガイドと税関職員から厳しく叱責されました。展示会場へ向かう途中で道を間違え、挙げ句の果てには、ミラノで行く予定だった展示会自体がキャンセルされていたのです。
インターネットなどない時代。現地との確認手段はテレックスのみ。 とにかく、私にとって最初のイタリアは「最悪」の一言でした。
その後、2年間で合計4回。私は添乗でイタリアへ行かされることになります。上司から頼まれるたび、心の中では「またか……」とつぶやいていました。
「イタリア=添乗」。 どちらも、正直なところ嫌で仕方がなかった時期です。
添乗の面白さに気づいた転機
そんな私の気持ちを変えたのが、イタリアではなくスイスでした。
バーゼルで開催される時計・ジュエリー展示会視察ツアーの添乗です。5月のスイスは気候も良く、参加者の皆さんも視察半分、楽しみ半分。時計を扱う企業の方々だったため、チューリッヒからジュネーヴへ日帰りで足を延ばすなど、行程にも余裕がありました。
そのとき初めて、「添乗って面白い」「ヨーロッパは奥が深い」と感じたのです。スイスとイタリアの気質の違いもまた、非常に興味深いものでした。
イタリア語との出会い、そして人とのつながり
イタリアでは、ローカルの人々は基本的にイタリア語しか話しません。そこで私は、思い切ってイタリア語を習い始めました。現地でイタリア語を話すと、相手は本当に嬉しそうに反応してくれる。
「言葉が通じるって、こんなにも面白いものなのか」
それは、私にとって初めての体験でした。
忘れられないローマ・ダービー
特に忘れられない思い出のひとつが、ローマで体験した「ローマ・ダービー」です。同じ都市の宿敵、ラツィオ対ASローマ。当時、中田英寿選手がASローマに在籍していた時代で、ローマがスクデット(リーグ優勝)を果たしたシーズンでした。
私はラツィオ側のチケットしか手配できず、市内のオフィシャルショップでラツィオのユニフォームを購入し、スタディオ・オリンピコへ向かいました。
そこへ、ASローマの中田選手のユニフォームを着た日本人が、間違ってラツィオ側エリアに入ってきてしまったのです。おそらく、チケット事情は私たちと同じだったのでしょう。
ラツィオのティフォージ(サポーター)から鋭い視線が飛び交いましたが、すぐに「事情が分からず迷い込んだ日本人だ」と理解したようで、意外にも冷静な対応でした。しかし、警備員が慌てて飛んできて、「こっちへ入っちゃダメだ!」と叫び、その日本人は外へ連れ出されていきました。
一歩間違えれば、大変な事態になりかねない——そんな光景は、今でも鮮明に記憶に残っています。
いまも変わらない、私の好きなイタリア
それから、イタリアのホテル関係者やサプライヤーなど、多くの友人ができました。今でも交流は続いており、ヨーロッパの商談会では、まるで同窓会のような気持ちで旧友を訪ねています。
現在も年に何度かイタリアを訪れ、昔と今の違いに驚いたり、時には落胆したりしながらも、
「やっぱり面白い国だ」
と感じます。
温かくて、適当で、緩くて、でも放っておけない人柄。 それが、今も変わらず、私の好きなイタリアです。
著者:北條 雅章(株式会社ジェイワールドトラベル)
掲載日:2026年01月23日