島国、日本で育ち暮らしているわたしたちにとって、「国境」という感覚はあまりありません。ながいことおつきあいしてきたお客様で、国境越えがテーマというグループがありました。私が専門としていた中国を起点にしてもう1つの国へ陸路から国境を越えて行くという旅を数年に渡って企画しました。
香港から広州へ。昔は荷物をもって橋を渡って中国・広州へ入りました。。これを皮切りに、北京から列車に乗ってカザフスタン・アルマトイへ。雲南省 河口からベトナム ハノイへ。雲南省モーハンからビエンチャン・新疆ウィグル自治区カシュガルからパキスタン国境へ(正確に言うと。パキスタンへは行かず国境でもどっています)
添乗員にとって、陸路の国境越えほど緊張するものはありません。入国時の出入国カード、ビザなどは当然のことですが、頼る人のいない緩衝地帯の交通手段、入国後のガイドのミィーティングなどなど心配の種はつきません。
案の定 様々なことがありました。
雲南省・河口では無事に出国、雨の中、荷物をもって橋を渡り、ベトナム・ラオカイで入国手続き、パス―ポートを見せたところ、中国のビザがないので中国を出国した証拠がないと言われ入国拒否。団体ビザのため、個人のパスポートには確かにビザがなかったのです。(個人ビをとるべきだたのです。)散々 入国審査官とやりあったのですが、頑として入国させないのとの一点張り。先ほど降っていた雨は大雨と変わり、10数名のお客様が誰もが不安そうに私をみつめています。私は皆さんのパスポートと中国の団体ビザのコピーを抱えてて元気よく(そうしなければ、なりませんでした。)、今渡った橋を渡り、中国のイミグレーションへ。理由を話して、協力もとめたのですがとりあってくれません。(あたりまえです。)
なすすべもなく再び中国の入関へ。こうなればと 解決したふりをして、50usドルをはさんだパスポートを再提出するとすんなりと入国。その後、通関でもあれこれと言われまた50㌦、駅に着いた時には予約していた1日数本のハノイ行きの列車は、すで出たあとでした。現地の旅行社もなく、またもや窮地・・・・。とまだまだ 続くのですが、長くなりますので、後半はまたの機会に。
の
この時ほど、添乗員は気力と根性そしてお尻のポケットの50usドルが必要だと思ったことはありません。今や時代も変わり、こんなことはなく、単なる国境越えの昔話にすぎませんが、国境という1つの線で同じ民族を分けてしまうという理不尽さと共に国境の向こうには違う文化を持ち暮らしている人たちがいるという旅人のわくわく感を感じたのも国境越えでした。
著者:戸井川 裕美子(株式会社ピコ)
掲載日:2025年09月12日