学生時代の貧乏旅行から、数カ月住んだ旅を含め、いつの頃からか私にとって旅は生活の一部となった。ヨーロッパで「住んだ」街は、ロンドンの他、オーストリアの大学町ゲッチンゲンやドイツのデュッセルドルフ、また初夏から晩秋のアムステルダム。気の向くままに美術館や博物館巡り、旧き良き街並みと深い文化、美しい自然とそこで暮らす人々の営みに接して毎日が夢のように過ぎた。ディズニー時代にも長期休職をとりスペインの古城などディズニーのルーツを辿り、勝手に上司や仲間に定期的に発信した。(当時は当然手紙!)半分呆れか、よくぞ3ヵ月もの休職を許可してくれたものだと思う。ヨーロッパは、電車やバス、車で簡単に各国を周遊し、刻々と変化する街並みや自然、行き交う人々や言葉、空気や匂いの違いを味わえるのが醍醐味だ。歴史や文化的な統一感と、近いのに全く違うところもあり面白い。
広告代理店時代には、撮影、視察、会議などで南ア、ジンバブエ、ナミビア、レソトなど南部アフリカへは何度も訪れた。地球の真反対、東京の家から南アのホテルまでドアtoドアでおよそ26時間。実は飛行機があまり得意でない私にとって長いフライトは毎回がチャレンジだ。でも、だからこそ現地に到着した時の解放感や嬉しさはひとしおだ。私が最も好きなのはボツワナのゲームリザーブ。サバンナの中に11梁のテント(今でいうグランピング)しかない。ビッグファイブを探すサファリはジープ、ボート、ウォーキングと好きなものを好きな時間に何度でも体験できる。真っ赤な夕焼けが沈むと、夜は大きな焚火の周りで、ゲストがいる限りいつまでも開いているオープンバーで、オーナー/マネージャー夫妻や各国の旅人達と遅くまで語りあうのが至福の時。誰が言い出したか、ある晩のトピックは「絶対に誰にも言いたくない人生で最もドジで恥ずかしい体験。」 あれほど笑ったことはあまり無い。我々の笑い声は深夜までサファリ一面に響き渡ったに違いない。
やがてお開きになり、ハイエナの声やインパラの気配を感じながら自分のテントまで歩く。ここではセキュリティも銃を持たない。でもちゃんと見守ってくれている安心感。月影の中シャワーを浴び、朝は「ノック、ノック」という声と人懐っこい笑顔で目覚める。サバンナの地平線に昇る日の出と優雅に歩くキリンを見ながら朝食をとる。川を下るボートサファリは、しんと静まり返り、聞こえるのは自分の呼吸だけ。カバやワニの群れに息を潜めながら葦の中を進む。ゆったりとした悠久の時の流れと自分が大地の一部と感じる瞬間。これが本当の贅沢だ。世界中からの富裕層を満足させる旅の神髄がここにはある。この時ここにしかない一瞬は人生で究極の体験となる。正に何年も前からここにはアドベンチャートラベルが存在している。
中央アフリカではケニアへの視察旅行。1904年創立、ナイロビのノーフォークホテルはヘミングウェイが「キリマンジャロの雪」を書いたことで有名だ。ホテルゲートに門番が立っているが、そこから一歩出たとたん周りから大勢の物売りが一挙に押し寄せて来る。彼らを振り払いながらわずらわしさとナイロビらしさを肌で感じながら町を歩く。
翌日はエリザベス女王が戴冠式をしたことで知られるツリートップサファリに行く予定。なのに喉が腫れて苦しんでいたら、カメラマンの岩合氏と撮影クルーに偶然お会いしイソジンを付けて貰ったこと、それでも痛くて深夜ハウスドクターを呼んだものの、外部から来るということで待っている間、ウィッチドクター(呪術医)だったらどうしようと、急に不安になったことを思い出す。長く待っていた割には、診察は一切無く処方箋を書いてくれただけで実にあっけなかった。支払いは確か3万円ほど。
ケニアでの熱気球体験は、日本人は私だけでインド人の宗教団体と一緒だった。伝統のシャンパンブレックファーストがジュースとキュウリのサンドイッチになり酷くがっかりした。
南アフリカは食べ物やワインが秀逸で、ブルートレインやロボスレイル(クルーガー国立公園までの蒸気機関車)のダイニングではフォーマルウェアが基本、ノスタルジックな雰囲気はアガサクリスティーの世界そのもの。皆昼間と打って変わってオーバーに着飾って来るのが面白い。キャンドルと華やかなテーブルセッティング、でもその隣りには大勢の客がひしめく普通列車がいる。南アフリカには上質なヨーロッパ文化とアフリカのエネルギーが両方介在する。日本がかつて持っていたむき出しの生きる力や上昇志向を感じる。貧富の差や政治の不安定の一方、わだかまりのない自由な生き方、アーティスティックで鮮やかな色使いの多民族が行きかう街。春には紫のジャカランダの花に彩られる素晴らしく不思議なアフリカの魅力は尽きることが無い。
アメリカ大陸には私にとって海外への扉を開いた原点ともいえる、ディズニーと赤毛のアンの国がある。最も心に残るのは「酒とミュージックの旅」と銘打った(海外)ディズニーの同僚との二人旅。LAの「ワインとロック」、ニューオリンズの「バーボンとジャズ」、メキシコの「テキーラとマリアッチ」、キューバの「ラム酒とサルサ。」キューバでは憧れのヘミングウェイの影響が色濃く、チェ・ゲバラとカストロはいまだに人気者。街には彼らの写真が付いたTシャツがはためき、彼らに因んだ音楽で溢れる。
旅先で美容院へ行くのは私の趣味だ。「髪結い床」では地域の生の人々の姿が見える。ハバナでは公務員であろうおじいさんが、私が指さした古いアメリカのファッション誌に載る髪型を必死に再現してくれた。
アジア大陸は近いのに、私が最も遅く開拓したデスティネーションだ。人気が沸騰する前のベトナム。道を覆うほどの車やバイクが行きかい、中々横断できない埃っぽい道路とノスタルジックな雰囲気、誰もが美しいアオザイの女性達、勤勉さと可能性を秘めた力には圧倒される。旅の最後の晩に食べた高級宮廷料理のコースと、翌日長崎ハウステンボスで飲んだ一杯のグラスシャンペンが同じ値段だった驚き。
タイではバンコクからプーケットに行くための空港行きタクシーが道に迷い、私が公衆電話をしてる間にトランクにスーツケースを乗せたまま走り去った。DJの友達がラジオで呼びかけてくれたらしく、1年後に荷物が戻ったこともこの国の摩訶不思議なところだ。
そして我が街シドニーのあるオーストラリアは、好きとか嫌いではなく私のルーツだ。人も自然も何もかも大きく野性的。飛行機から中央部を見下ろすと赤い大地が果てしなく続き、時折カンガルーが飛び跳ねる以外何もない。空港に降り立ち、乾いた空気とユーカリの匂い、強い日差しを浴びると20代の自分がそこにいる。第二の故郷とも違う、原点に戻る、人生をリセットする感覚だ。そんなデスティネーションを持つ自分を幸せに思う。
今、若者は旅をしないという。コロナは落ち着いても、世界は様々な不安や戦争、闇でいっぱい。それでも内に籠らず、先ずは一歩踏み出して、外の空気に触れて欲しい。違う文化や人との出会い、失敗でさえも、そこから何かを感じるはず。人生は目的定まらぬ旅のようだ。旅を通して体験したことは何物にも代えがたい。人生は旅そのもの ― 先ずは一歩踏み出してみよう!
【写真:数年ぶりの元同僚との再会!】
著者:金平 京子(国際ツーリズムマーケティング合同会社)
掲載日:2025年03月06日