Voice 奇跡の遭遇(So Good)、トラベル懇話会
 渡航の為の外貨持ち出し限度額が撤廃され、海外旅行市場が急拡大していた頃のことだ。会社の朝礼は毎週月曜日。司会役は持ち回りで若手社員が務めることになっていた。「次はツアーセンターの番だから、君、司会を頼むよ」と言われた私は、各役員に「何か報告事項はありますか?」と聞いて回った。「他の役員から特に発言が無いようなら、私から一つ報告を!」と答えたのが吉村会長だった。 1978年5月の月曜日、就職から5年が経った東京観光㈱でのことである。
 吉村会長の報告とは、「急激に変化する時代への対応で、JATAの組織とは別に業界内に経営者層の勉強会を創設した」というものであった。入社間もない私にとってはその勉強会が持つ意味も分からず、どうせえらい方々が集まる懇親会なのだろう程度で、深く心に留めることは無かった。それから17年、多くの優秀な業界人を輩出した東京観光㈱は消滅したが、私がこの日の朝礼を思い出すことは無かった。
 2006年、ジェイ・ピー旅行の取締役就任を機にトラベル懇話会に入会した。前任の取締役丸山秀夫氏から、「業界の情報にアンテナを張ることは大事だよ!」と入会を勧められたのだ。時のトラベル懇話会会長は糟谷慎作氏。入会翌年の夏期セミナーでのことだった。たまたま東京海上保険の大野幸郎さんと同じ席に座った。かつて旅行保険の営業として東京観光を担当していた大野さんと懐かしい思い出話に花を咲かせる中で彼が言った。「このトラベル懇話会は山下さんが居た東京観光の吉村光雄さんが作った会ですよ」。その瞬間、私の頭の中に、30年も昔の朝礼が蘇った。あの日吉村会長が語った「勉強会」とは今自分が身を置いているこの「トラベル懇話会」のことだったんだ!滅多に回ってこない司会の順番・・・トラベル懇話会の設立が報告された朝礼で自分が司会をしていたという不思議な因縁に驚いた。
 更に奇跡はもう一つ。既にジェイ・ピー旅行の定年退職に伴い、トラベル懇話会も退会していた私に鈴木建夫事務局長の事故のニュースが飛び込んできた。東京に大雪が降った日に、自宅前で転んで頭を打ったのだという。毎月の例会の出欠集約をそれまでのFAXから電子メールへ移行させたデジタルに強い事務局長の突然の訃報だった。林田建夫会長から「元会員だった山下さんはみんなの顔と名前が分かるから事務局長に適任だよ」と推薦を頂いた。それにしても何度も酒を酌み交わした鈴木さんが、まさかこんな形で私に後任の座を用意してくれるとは思いもよらない出来事だった。高輪にある鈴木家の墓前に出向き、トラベル懇話会事務局長職を有難く引き受けさせて頂いたことを報告した。
 今、目の前に「トラベル懇話会創立40年記念誌」がある。福田叙久会長の下、私が事務局長として編集に力を注いだトラベル懇話会の40年の足跡である。最初に就職した会社の吉村光雄さんが発起して創立され、自身も事務局長を務めさせていただいたトラベル懇話会が、コロナ渦の時を超え、“集まり散じて人は変われど”多くの先人たちが目指したように、旅行業界を支える良き勉強会・懇親会の場であり続けて欲しいと願っています。

著者:山下 太郎(シニア会員)

掲載日:2022年10月27日