Voice 百聞は一見に如かず  ~現地で実感したアメリカの光と影~
  「お父さん、アメリカに行かない?」
普段、殆ど連絡なんかよこさない娘の百合子から突然電話があったのは、2013年春のことだった。
当時、私はタイに駐在して丸5年、娘は就職して丸1年が過ぎた頃で、駐在3年のはず?が6年目に突入した父親が気の毒になって声をかけて来たのかな?と思った私は「ああ、いいね。行こう!」と二つ返事でOKした。実は私を気遣ったのではなく、私は通訳兼用心棒だったと後でわかったのだが・・・
                     
それはさておき、2013年の秋にラスベガスで娘と落ち合って、我々のアメリカ大自然ツアーはスタートした。
ブライスキャニオン、ホースシューベンド、アンテロープ、モニュメントバレー、グランドキャニオン等を巡ったわけだが、右の写真はホースシューベンド。
                   
コロラド川がホースシュー(馬の蹄鉄)のようにUの字に曲がった川面から300mの高さの切り立つ断崖の上から撮ったもの。毎年2~3人が転落死する?らしく、娘はヘラヘラしているが、撮ってた私は高所恐怖症なので足はすくんでいた。あの下を見た時の高さと怖さ、そしてその向こうに果てしなく続くアリゾナの大地の広大さを写真だけで伝えるのは難しいと思う。

今やコロナ禍でどこも行くことができず、このところずっとオンライン旅行で我慢させられているわけだが、コロナさえ収まれば、やはり絶対に現地に足を運びたいと思う。何事も実地で体験しなければその感動は本当には味わえない。昔から言われている通り、「百聞は一見に如かず」(Seeing is believing.)なのだ。あのとき私は、この広大な西部の地を踏破した開拓者魂の凄さを身をもって実感したのである。

さて、ここまではアメリカの楽しい怖さ?の思い出だが、ここからはヤバい怖さ。
その後、タイでの合計9年間に及んだ駐在生活を終え日本へ戻ったのが2017年。その年の秋、今度はトッパントラベルサービス社長としてアメリカへ出張した。当時、提携していたHRG(ホグロビンソン・グループ)のグローバル・カンファレンスがラスベガスのホテルで開催され、それに初参加したのだ。このときは私なんかよりずっと英語の達者な部下2人と一緒だったので、もう大船に乗った気持ちでいた。
カンファレンスより1日先乗りしたので、初日は隣のホテルでシルク・ドゥ・ソレイユのショーを満喫した。カジノのあるホテル同士は専用の通路でつながっており、「いやあ、ショーは面白かったねえ。」と話しながら、我々は自分たちのホテルに向かってその通路を歩いていた。

突如、通路の前方から50人くらいの皆ドレスアップした男女の集団が何か叫びながら物凄い勢いでこちらへ突進して来るのが目に入った。
近づいて来ると、全員血相を変えて「ガンマン!」「シューティング!」と叫んでいるのがわかり、我々も「ゲッ!じゃ銃を持った奴らがこっちへ来るのか!」と度肝を抜かれ、Uターンして彼らと一緒に必死で走った。向かっていたホテルとは逆の方向へ走り出したわけだが、あの場面でそのまま直進する選択肢はあり得なかった。
最初は全員一つの集団で逃げていたのだが、通路にいたガードマンが最後尾の我々に「こっちへ!」と通路横へのドアを開けてくれたので、我々はホテルの裏手に飛び出し、幾つかの集団に分かれてしまった。気付くと一緒にいるのは十数名に減っていた。一緒に逃げていたアメリカ人が、自分のスマホに入った「ラスベガスのホテルで銃乱射。死者、負傷者多数。犯人の一人は射殺されたが、もう一人残っている。」という情報(誤報だったが)を教えてくれた。その間にも我々は「ラスベガスで銃乱射事件発生。3人とも無事であるが、まだ避難中である。」ことを日本のトッパントラベルと親会社の凸版印刷へ報告しながら逃げ続けた。本音は報告どころではなかったが、危機管理の鉄則なので連絡したものである。(冷や汗)

ホテルの裏側を走り抜けてやっとの思いで大通りに出ると、ニュースで事情を知った観光バスの運転手が車を止め、「おい、乗れ!」と言ってくれた。乗り込んだ我々が運転手に「キミは俺達のヒーローだ!」と感謝している間に、彼は電話で会社に連絡し「この辺りじゃあ、まだどこに犯人がいるかも知れないので、ラスベガス郊外の安全な所まで全員を乗せて行くから。」と上司の了解を取ってくれた。あのとき彼はまさにアメリカン・ヒーローだった。
その夜は、既に昼間チェックイン済みだった我々のホテルには戻れず、ラスベガス郊外の小さなホテルでバスから降ろしてもらい、予約は無論なかったが、英語の達者な部下が何とか交渉の結果そこに宿泊できた。手荷物は本来のホテルに預けたまま逃げ回ったので、着替えもタオルも歯ブラシもないみじめな状態だったが、「まあとにかく命拾いしたわい。」とつぶやいて、冷たいベッドに取り敢えず横になった。

翌朝タクシーで本来の我々のホテルへ戻って、ようやく事情が呑み込めたのだが、これが2017年10月1日に起きた61人死亡、867人負傷のアメリカでも史上最悪と言われる『ラスベガス乱射事件』だった。たまたま我々が1日先乗りしたため不運にも遭遇してしまったのである。あの事件は、我々の宿泊ホテルから3つ離れたマンダレーホテルの32階から、地上の屋外コンサート会場に向かって改造自動小銃を無差別に乱射した戦慄的なものだったが、犯人はたった一人で、警官隊がその部屋に突入したときはもう自殺していたのだ。そうとは知らず、我々は夜通し逃げ惑っていたわけである。今考えるとバカみたいなのだが、そのときは皆必死だった。

あとで聞いて不思議だったのは、この日に屋外会場で開催されていたのはカントリー・ミュージックのコンサートであり観客は皆ラフな格好で正装なんかしていなかったはずだということ。それなのになぜ激走して来た男女は皆ドレスアップしていたのか?私はてっきり、どこかのカジノで大損した奴が発狂して乱射したのだと思い込んでいた。しかし、実際はこういうことだったらしい。コンサート会場でいきなり銃撃された観客はパニックとなって逃げ惑い、その一部が隣のホテルのカジノに逃げ込んだ。血だらけの集団が叫びながらなだれ込んで来たので、カジノの客もパニックとなって隣のホテルのカジノへなだれ込む。前述のとおり、カジノのあるホテル同士は専用通路でつながっているので、隣のカジノの客も度肝を抜かれて、その隣のカジノへ逃げ出すという連鎖反応で、玉突きのように皆が逃げ出す。結果として、ドレスアップした集団が我々の方に突進して来たのだ。

というわけで乱射事件には心底驚いたが、もう一つ違った意味で驚いたのが、翌日の昼からのHRGのカンファレンスが何事もなかったかのように予定通り開催されたことである。「こりゃ日本じゃ考えられない。」とアメリカ人に話したところ、「ここで中止や延期をしたらテロに屈したことになる。だから予定通りやるのだ。」との返事が返って来てなるほどこれがアメリカン・スピリッツかと感心した。さすが大西部を制覇した開拓者の子孫は違うわい、と思う一方で、だから彼らは「自分の身は自分で守る」として未だに銃が手放せず、その銃が一般人に向けられたとき恐ろしい事件が繰り返されるアメリカの影の部分を、自分事として肌感覚で知ることができた。こんな経験は二度と御免だが、やはり、百聞は一見に如かず。旅は非日常的空間へ飛翔して、新たな世界を知り未知の体験をする大きなチャンスである。
コロナを乗り越え、1日も早く海外往来の扉が開かれることを祈る。

 

著者:島宗 真太郎(株式会社トッパントラベルサービス)

掲載日:2021年12月15日