Voice データの標本、サイバーな世界を想像してみた
近頃、自分が意識していないところで個人のデータの集積が進んでいることにハッと気づきます。私は個人情報の集積をされたくないと考えるタイプです。でもその理由、いったい何を恐れているのか自分でもハッキリと解らないでおります。恐らく自分の情報が信頼できる社会で良い方向に活かされるのであれば、拒否反応は無いはずなのですが、実際のところが判らない戸惑いがこの恐れの原因かもしれません。

 ポイントカードにより、各個人が購入したものや興味の傾向は、ある程度掴まれてしまう方向にあると覚悟した方がいいのではないでしょうか。私自身、ついつい自分のスマホではマイクに向かい声を出してグーグル検索をしますので、何を調べているかもそうですが、恐らく声紋もデータとして集積されているのではないかと危惧しています。
最近登場している無料のカラオケアプリ。カラオケなのになぜ無料なのか。会話での声だけでなく、歌声の声紋までもがデータとして集積されてしまうのではと懐疑的になります。
 アメリカではAmazonがスーパーマーケットも始めました。お買い物に関する様々なデータが蓄積されるのでしょう。

 このように個人情報が集積されていき、サイバー空間に私というデータの塊がもう一人の私として出来上がり、その榎本律子「B」にあったものが引き寄せられる。もしくは選択肢として提案されるかどうかが自動的に判断される。今はこの段階かもしれませんが、今後はきっとそれだけではなく、サイバーデータの塊が榎本律子「B」としてサイバー空間で活躍していくなんていう想像をするとしたら、私はSF映画の見過ぎでしょうか。リアルとは別の世界で「B」同士がミュニケーションをとり、必要・不要や好みだけでなく、例えば購入した食品に含まれる成分やこれまで摂取してきた添加物の量に応じて病気のリスクから治療までもが管理されるようになるかもしれません。それから、「B」同士の恋人マッチング、「B」同士の泥沼離婚裁判…(怖い)
 データの改ざんができない厳重なセキュリティ環境であるのならば、防犯に役立ったりアリバイを立証したりすることにも「B」は貢献しそうです。「B」はサイバー空間に色の濃い情報の塊として履歴という歩みを残し、人間の数だけ、歴史的標本として残りそうです。今のWikiを凌ぐ分厚いデータですね。その人の人生を調べなくても、リアルな人間像が呼び出せる世界でしょうか。

果てしない私の想像の世界にお付き合いいただきありがとうございます。こんな世界がくるとしたら興味深いと思うか、怖いと思うかは人それぞれですが、個人データの集積が発達すると、折角生まれてきて楽しむべき、生身の人間のほうの人生が「冒険」とは言えなくなるかもしれません。データ集積に対して私が抱いている恐れは、時間短縮ができありがたい反面、「すべての選択肢から選ぶ」という自由がなくなるかもしれないという懸念からも来ているのでしょう。
折角生まれてきたのだから、思いっきり自由な冒険を楽しみたいですね。美しい地球を存分に楽しみたいし、楽しんでもらいたい。早く海外旅行が復活して、発見の連続、心からの大冒険が可能になりますように。

著者:榎本律子(セブンシーズリレーションズ株式会社)

掲載日:2021年05月12日