Voice 暗闇がもたらしたもの
2021年2月2日、政府はコロナウイルス禍による緊急事態宣言の1か月延長を発表した。飲食店の営業は午後8時まで、外出も8時以降は控える措置などを3月7日まで延長する。都会の夜が寂しい光景となることに、何やら既視感(デジャビュ)を覚えた。それは、夜の東京でネオンサインが消え、真っ暗になった日々である。オールドジェネレーションの方なら誰しも記憶されていると思うが、1973-1974年にかけて発生したオイルショックである。あの時は、石油が入らなくなるという恐怖から、ネオンサインの早期消灯、飲食店や映画館の営業時間短縮や深夜営業の中止などの措置が取られ、高速道路の明かりも消された。
 47年前は中東という聞きなれない場所で発生した戦争から、石油が我が国に一滴も入ってこなくなるかっもしれないという恐怖。今回はコロナウイルスの蔓延という、どちらも目に見えない恐怖である。今の私にとっては、嵐が通り過ぎるのを待つことしか解決方法がない。外が嵐の間、会社を維持するための資金調達をし、キャシュフローを高め、出費を抑え、それでも足りなければ自分の資産を処分するしかないであろう。

 オイルショック最中の1974年、私はどうやって恐怖の中をやり過ごしたのだろうかと、ふと昔を思い返してみた。思えばこの年は、私にとって忘れられない体験をした年でもあった。ロンドンの郊外にヘンリーオンテムズという町がある。教育旅行専門の旅行会社である当社はグループ組織の英国とドイツの力を借りて、この町で短期英国研修を企画し、30名の参加者を集めた。私もグループリーダーとして現地へ同行した。ところがヘンリーは小さな町で、我々を引き受けてくれるホストファミリーの数が不足するという、不測の事態が発生した。我々の到着が寸前に迫ったとき、教師の一人が自宅で4名の学生を一度に引き受けてくれるという知らせが届いた。条件は研修場所まで私が学生たちを毎日送り迎えすること。車も提供してくれる。願ってもない申し出だった。

 行ってみて驚いた。そのお宅というのはサーの称号を持つ貴族の館だった。ホストファーザーのマイケルは、当時英国防衛省副大臣。三男坊のリチャードは、イートン校の卒業生で、オックスフォード大学の1年生だった。我々が、イートンやオックスフォードを見学する予定であると話すと、彼がガイド役を買って出てくれた。イートン校では門番に何やら告げ、一般の人が入れない学校内まで案内し、母校での生活を語ってくれた。オックスフォードでもトリニティカレッジの、やはり部外者が入れないところまで案内してもらい、世界に誇るイギリスの伝統教育の一端に触れた気がした。

聞けば、一家は親子3代、イートン校そしてオックスフォード大学の卒業生であるという。私はホームステイを通して、英国のエリートたちを知ることとなった。この年の経験から、私はオックスフォード大学に興味を持ち、以来、オックスフォード大学での短期留学をビジネスの中心に据えている。オックスフォードでの学校作りを志したのも、英国のエリートたちと論争できる若者を育てるには、彼らの本拠地に入っていって、そこで彼らと交流することが一番だと考えたからである。1974年はトンネルの先が見えない大変な時期であったが、私にとってはオックスフォードで学校を持つという、現在に続く大きな贈り物を得た、記念すべき年でもある。

足元はコロナ、コロナと暗い話題ばかりだ。しかしそんな状況の中にも必ず、未来につながるヒントや萌芽があるに違いない。仕事ばかりでなく、美しい音楽を聴き、絵画を鑑賞し、心を研ぎ澄まして未来を捉えたいと思うこの頃である。

著者:池野健一(株式会社ユーティエス)

掲載日:2021年02月10日