自分のことを書きます。
93年、プリンスホテルを志望し入社した動機は、当時会社が持っていた社会人野球チームで野球をすることでした。結局4年で引退となるのですが、都市対抗出場の夢を見ながら当時のトップレベルのチームで野球に打ち込んで自分の限界を見極めることができたと思っています。辛い思いもたくさんありましたが、給料をもらいながら好きな野球に専念できた今思えば幸せな4年間でした。私の同期にヤクルトで活躍した宮本慎也君がいます。
野球を引退した96年の暮れから27歳にしてやっと本当の社会人デビューとなりました。高輪プリンスホテル配属となり、宴会営業として8年勤務しました。一番の思い出は02年日韓で開催されたサッカーワールドカップの開催期間中のイベントを担当させてもらい、受入をしたことです。大変でしたが世界が注目する大会のイベントの受入が終わったときの達成感は何とも言えないものがありました。
ところが04年、西武鉄道有価証券報告書虚偽記載が発覚し、上場廃止となり西武グループの再編が始まりました。グループの経営者が変わり、再上場を目指すことになります。プリンスホテルがコクドを吸収合併した06年の半年前のタイミングで原宿にあった本社勤務を命じられ、それまでやってこなかったホテルのブランディングや設備投資を企画する新しくできた部署への配属となりました。新しいロゴマークや全国の既存ホテルを3つのカテゴリーに分ける基準作りやホテルのリノベーションをチームの一員として関われたことは今でも私にとって財産となっています。
09年に持株会社の西武ホールディングス財務部へ出向となり、資金調達チームの一員となりました。それまでは銀行と言えばどこも同じと思っていましたが各行カラーがあり、大変勉強になった3年間でした。会社は再上場前であり、優秀な銀行マンとタフな金利交渉をしなければならなかったのも今となっては良い思い出です。その後、12年に同社社長室秘書担当へ異動、ここでは再上場直前の2年間の勤務となりました。会社と投資ファンドとのやりとりを身近で見ることができました。
西武グループ念願の再上場となった14年4月、出向解除となりプリンスホテルの本社に戻り、営業部に課長として配属となります。2年後に同部配属のまま西日本セールスセンター長として大阪で3年間、その後、大津プリンスホテル事業戦略支配人として2年半、計5年半に及ぶ単身赴任生活となりました。独身時代は寮生活だったため、人生初めての一人暮らしの経験でしたが家族のありがたさを感じた期間でした。
21年10月に再び東京の本社に戻るとその2か月後に私を待ち受けていたのが厚生労働省によるコロナの水際対策として都内ホテルを貸し出す業務です。のちに会社の社会貢献活動が認められ、観光庁より特別感謝状をいただきました。
23年10月に西武トラベルへ営業部長として出向となり現在にいたります。旅行会社は初めての経験でまだ1年半ほどですが小さな会社なだけあってみんなで一枚岩となって業務改善に取り組んだ結果、近年では一番良い期末を迎えられそうです。
とりとめのない私の話となりましたが最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。振り返ると2、3年おきに西武グループ内で全く違う環境に身を置くことになり、専門と言えるものは何一つありませんがそこで知り合った人たちが私の財産となっています。野球で始まった私のサラリーマン人生も定年まで残すところ4年となりましたが、更なる会社の業績アップと後進の人材育成をこの期末にあたり、新たに目指すところとして日々精進していく所存です。
著者:窪田 衡吏(西武トラベル株式会社)
掲載日:2025年03月25日