Voice マニラにて
トラベル懇話会事務局よりVOICE原稿執筆依頼を受け、何を書こうか今マニラ事務所にて考えています。何も思い浮かばないので、自分のことを書きます。

初めてフィリピンに来たのが47年前の春、学生の時でした。落第を重ねさすがに、このままでは駄目だと英語を勉強しようと、両親から買ってもらった電話の債権を勝手に売り払い、その代金で英語圏の航空券を買える国がフィリピンでした。当然初めての海外でフィリピンが英語を話すことさえ知りませんでした。
体を壊してラグビーから離れて目的を失い、学校へは足が遠のきアルバイトに明け暮れる堕落した毎日でした。英語を勉強するのだから宿泊と3食あれば、アルバイト料は請求しないので絶対に職はあるはずと確信していました。初日のホテルだけ予約して1か月の予定で飛び立ちました。
翌朝バイキングの朝食を死ぬほど食べて街に出て職探し。持ち金は$5。かたっぱしから交渉しましたが、全て断られました。まあみすぼらしい服装も原因ですが、そもそもフィリピンに職が無い時代でした。お腹が空いて動けなくなり、たどりついたところがホテルを予約したときに緊急連絡先として書いてあった現地ツアーオペレーターの事務所です。
当時日本人観光客は現地でピカピカ光っていました。宿泊、3食付、給与無し条件を即決で受け入れてもらいまして1か月働きました。当時本当に儲かる商売だし面白そうだし、これなら自分でも出来ると大学をドロップアウトして会社を立ち上げました。その時知り合ったのが今の女房(フィリピン人)です。彼女が現地社長として仕切り、僕が日本社長として営業活動。2人で頑張りました。
日本人経営ということで、設立当初は税務署や入管からいじめられました。会社を辞めさせたスタッフ5人からも訴えられました。いろいろありましたが女房と何とか乗り切りました。
アルバイトは数知れずしましたが、会社に勤めた経験がないので、社会人としての教育を受けておりません。学生のまま今まで来た感じです。ただその僕も来月で71歳になります。
あと1年半でベースをフィリピンに移します。現地社長の長男(フィリピン人)、日本事務所勤務の次男(日本人)が2人で好きにやればよいと思っています。

目の前にいるローカルスタッフを見て感じるのは、いままで本当にフィリピンにお世話になったという実感です。フィリピンで良かったと思います。他の英語圏ならビジネスチャンスは無かった。長男が来年からマンパワービジネスを始めるというので、増えてきた訪日旅行と合わせて地方創生でフィリピンに少しでも恩返しができればよいなと考えております。
マニラをベースにしたら、毎朝ゴルフをして午後から少しだけオフィスに出ます(なるべく邪魔しないように気を付けながら・・)。
いつも言うのですが、これからは何をして遊ぶではなく、誰と遊ぶかが僕にとっては大切です。これは女房によく注意されます。マニラには比人も日本人も行儀の悪い人が多いですから。12月~2月の現地はベストシーズンです。日本の寒い時期にゴルフバックを担いで来られる仲間を増やそうと思っています。来年からはトラベル懇話会も次男に任せる予定です。
今後もよろしくお願いいたします。

著者:柿原一夫(株式会社アティックツアーズ)

掲載日:2025年01月17日