幼少時、大空に描かれた五輪を見上げた鮮明な記憶があります。1964年開催の東京オリンピックの事ですが、ブルーイン
パルスが東京の青空に描いた五輪が浜松から見えるはずもなく、幼い頃の記憶違いだと思っていました。
一方、はっきり覚えているのはアベベ、チャフラフスカ、ジャボチンスキーといった名前です。こちらはゴールドメダリストだからと
いうより、おそらくは名前の響きが面白くて幼稚園の友達と笑い転げていたからでしょう。その57年後にコロナ過で窮屈な開催
となった東京オリンピックを経て、今年パリオリンピックが開幕しました。史上初めてスタジアムの外で行われた開会式は生憎
の雨に見舞われながらも芸術的なパフォーマンスに多くの人々が魅了されたのではないでしょうか。また、夜空に浮かび上が
ったオリンピック聖火台気球はその後一体どうなるのだろう、と気になって仕方がなかったのは私一人だけでしょうか。
さて、その華やかなパリ2024オリンピックの裏側で、フランスの海外共同体ニューカレドニアは今年 5 月に起きた独立派の
暴動が尾を引いたまま現在に至っています。前回 Voice に投稿させて頂いた2年前、ニューカレドニアの独立をめぐる住民投
票について触れさせて頂きました。今回このタイミングで Voice の投稿の依頼を頂戴し、再びニューカレドニアについて触れさ
せてく頂く事としました。
ニューカレドニアと言えば森村桂さんの代表作『天国に一番近い島』で有名ですが、私が当時愛読したのは森繁久彌さんの
『私のニューカレドニア』と題したエッセイ集でした。森繁さんの人柄を感じるユーモアあふれる旅行記で、そこに登場するジョエ
ルさんは当時アメデ灯台クルーズなどでファイアダンスを演じていました。後に当地でジョエルさんとお会いした際、『森繁さん
に手作りのカヌーをプレセントしたよ。』と満面の笑みで話してくれました。あれから40年、ニューカレドニアの美しい自然は当
時のまま変わりなくユネスコの自然遺産にも登録されています。今年5月、その美しい島では独立強硬派による暴動が報道さ
れました。40年前の暴動をはるかに上回る規模で、多くは先住民(カナック)の若者たちを中心に幹線道路の封鎖、スーパーや
商店での略奪・放火といった暴動が起きました。被害にあったエリアの多くは首都ヌメアから離れた郊外や地方で、特に激しい
ものとなりました。一体、なぜこのような暴動が起きたのでしょう。
そこには独立賛成派(フランス植民地主義を拒絶する先住民族カナックの人々)と独立反対派(ヨーロッパ系を中心とする移
住者の人々)の対立があり、ニューカレドニアの地政学的問題やレアメタルなど鉱物資源の権益問題などフランス本国にとって
の思惑など長年の複雑な背景があります。この暴動のきっかけとなったのは、これまでニューカレドニア選挙の参政権は(19
98年以前からの入植者)に限る、という約定を(10年以上暮らす住民に拡大)する、というフランス政府による憲法改正案です。
この改正案がフランス国民議会において賛成多数で可決した事で、独立派にとっては票獲得比率の低下となることへの抗議
と、長年の経済格差に対する不満が一気に膨れ上がった結果と言えます。仏政府は暴動の沈静化を図るため5月15日に非
常事態宣言を発出。16日には暴動の鎮圧と治安の回復のため警察・憲兵を増派。同月23日マクロン大統領が当地を訪れ、
独立派政党の指導者や地元有力者と意見交換の上、地方参政権の憲法改正は強行しない旨を約束しました。これはパリオリ
ンピックを前にした方便ではないかという見解もありました。いずれにせよ、これにより5月28日には非常事態宣言は解除され
ました。その後の7月25日の現地の報道によれば、マクロン大統領は当初2024年12 月に予定されていた地方選挙の202
5年への延期と新国民政府樹立後の9月末にニューカレドニアの政治勢力をパリに結集し、有権者の問題を決定し、制度の将
来について議論するとの計画を発表した、との事です。
現在のヌメア市は平和で穏やかな日常が戻っているようすですが、夜間の外出禁止令は解除されていません。この度の暴
動による被害は甚大で、当然のことながら観光産業への影響も深刻な状態が続いています。
独立強硬派による幹線道路のバリケードでは古タイヤに火を放ち、激しい黒煙が怒りとなって美しいニューカレドニアの大空
に舞い上がりました。平和の祭典オリンピックの大空の五輪への想いと比べ、なんという悲しい光景でしょう。
1964年夏、予行演習のため航空自衛隊浜松北基地を飛び立ったブルーインパルスは浜松上空に見事な五輪を描きました。
著者:松本 晃(株式会社UTIジャパン)
掲載日:2024年08月14日