Voice 自宅待機
自宅待機

3月24日、シアトル行き168便の機内にて無事アメリカに入国できるのだろうかと少し不安な気持ちで過ごしておりました。(お酒ものどに通らない程でしたが、気持ちを落ち着かせるため少し飲んでました。)考えていたことは、”なんで高齢者の自分が手を挙げて来てしまったのかな~”“自宅待機はどんな事だろな~””奥さんも巻き込んだよな~”などなど・・・・・

その当時アメリカのコロナ感染者数は約5万人(日本はまだ1900人台)でニューヨークを中心に猛烈な勢いで増加傾向でした。はっきりとしたことはわかりませんでしたが、3月26日頃からはアメリカからの入国制限が始まるとの報道もある中でしたので、当然アメリカ入国時にも何らかの規制や入国審査の厳格化があるだろうと思っておりました。その最たるものが、日本で実施されておりました帰国者の2週間の隔離がアメリカでも適用されるのかということでした。しかしいざ到着、審査はいつも通りで何の変りもなく隔離もなくスムーズに入国できほっと一安心しました。

私がこんな状況の中アメリカに渡った理由こそこのアメリカからの入国規制や規制の開始でした。実際には4月初めにはアメリカからの帰国には制限がかかり帰国できなくなってしまいました。
2月までのわが社の成績は、対前年でかなり業績が良く”期末にはおいしいお酒が飲めそうだぞ”などと思っていた矢先の降ってわいたようなコロナ騒動、外的要因に弱いこの業界の過去の例の漏れずバタバタとはじまったキャンセルの嵐。あっという間に3月の中旬には春休みの2次ピークのツアーがすべて消えてしまいました。
そんなキャンセル処理が仕事の中心となっていた3月23日会議の議題が、私が出張する原因となりました。
その当時アメリカやオーストラリアなどに弊社扱いの長期の旅行でまだ帰国していない学生が250名ほど残っていたのです。残っていた学生とは全て連絡が取れていて、また、それぞれの学校や保護者とはすでに航空機の変更手続きなど帰国の段取りが進んでいました。
そんな中、2月に出発した西宮にある女子大学の約200名の学生の帰国がデルタ航空さんのご協力により予定を早めて24日から始まることが決定し、添乗員の選定をする会議が始まりました。
団体の規模からいつも6グループに分けて出発帰国しておりましたので、今回も最低5名の添乗員が必要でした。決められた添乗員名簿の決済を求める会議でしたが、名簿は、それまでに危険度・添乗員としての習熟度も考慮したよく練られた人選でした、しかしその中に1名派遣の添乗さんが入っていたのです。
私は、やはりこの状況での派遣さんの使用は避けるべきと判断し人選の変更を求めました。では誰にというところでついいきおいで、”じゃ私が”と手を挙げてしまいました。70歳という高齢でもありますし、だれか止めてくれるだろうと思っていたのですが、2週間事自宅待機になっても最も会社が困らない良い案という空気でそのまま決まってしまいました。(汗)
明日出発です、さっそく奥さんに連絡”明日から出張が決まったんだよ、でも帰国後あなたも含めて2週間の自宅待機なんだよ、そのつもりで~”と言うと、さすが皆さんもよくご存じのわが妻は明るく”え~そ~、じゃさっそく準備にかからなくちゃね”と・・・・・おい、俺への心配の言葉は?
ということで、翌日はシアトル行きの機内のいるのでした。

帰国後の公共交通機関の利用はできなかったので、社長の車で帰宅、帰国日が27日、4月10日までの2週間の自宅待機が開始です。しかし、自宅から一歩も出ないことなど過去経験したことのないことでししたし、奥さんとの濃厚接触(誤解を生みそうだな~)も避けなければ等ととりあえず家でじっとする方法を考えてのスタートでした。さすがわが奥さんは、食材とか、消毒液、ゴム手袋とか本当によく考えいろいろ揃えていてくれたので、外出規制は苦にならなかったのですが、自分の中では常にアメリカでの感染は覚悟しており、特に重症化する高齢者であるということが意識せずとも心のどこかにあって精神的に2週間の観察期間明けまで不安定であったような気がしました。
家内は、特に完全な自宅待機を求められてはいなかったので、時間をずらしての最低限の買い物等が出来たので、ストレスは少なかったのではと思います。
では、何が一番のストレスだったのかと思うと、それは話し相手も他におらず、1日中二人で過ごさなければならないということでした。日がたつにつれ些細なことで言葉のトーンが高くなってしまうことを意識しました。定年離婚とはこういうことか思い至ったりもしました。
自宅待機をうまく乗り切る極意は、皆様の伴侶への感謝と思いやりにつきます。
許されていた散歩はよくしましたね。はじめは1時間ほどでしたが、徐々に遠くまで足が伸び最長で4時間ほど歩いたこともありました。今では、全くしておりませんが・・・・・庭の手入れ、食事つくりはじめNetflixにはまったのもこのころです。「花と将軍」「愛の不時着」など夜中過ぎまで見て、家内に叱られておりました。

8月初旬からGoToキャンペーンがスタート、国内旅行を手始めにようやく我々の仕事にも動きが出てきましたが、インバウンドや特にアウトバウンドについては全く明日が見えておりません。そして、以前と同じ業界へ戻るのか誰にも見通せません。これから2年3年と非常に不安定な時間を過ごさなければならない中で、情報の共有であったり会員各社の協業であったりが非常に重要です。こんな時こそ懇話会が中心となり仲間の助け合い、そしてもっと突っ込んだ事業提携などの協力関係の構築などこの危機をチャンスに変える策を推進してコロナを乗り切って行きましょう。

著者:福田叙久(株式会社アサヒトラベルインターナショナル)

掲載日:2020年06月29日