Voice 来し方、行く末
  自分自身の来し方を振り返るとき、 「好きこそものの上手なれ」とか、「芸は身を助ける」ことと切り離すことができないと自覚している。

46年前にコロンビアアイスフィールドに聳立するアサバスカ峰(3491m)に案内したクライアントから、「ガストン・レビュファは、ガイドはクライアントのために山への扉を開けるのだ。と言っているのを知っているか。」、と問われた。山の文学に疎遠だった若者は、著名なフランスの山岳ガイド、レビュファの言葉は知っていたが、名著「星と嵐」にその言葉が記されていることを知らなかった。

 旅行業に身を置き、旅行業界と登山界の両面から、「人が人を山へ案内する仕事」について否応なく考えさせられてきた。

大自然は、おおらかで私たちにやすらぎを与えてくれる。山に登る行為は、私たちの活力を導き出す。しかし、大自然は、突然私たちの予測を超えて、牙をむいて襲いかかることがある。安全だと確信していても思わぬ隠れた危険に遭遇することがある。大自然は人間にとって脅威なのだ。

旅行業が、大自然とりわけ登山を商品化することは当然の成り行きだろう。南北に長い日本列島の自然は四季それぞれの魅力に溢れている。原始的とは言えないまでもそれなりに自然環境保全を謳うことができる日本の国立公園は旅の目的地としてまだまだポテンシャルを残している。

2019年夏まで、毎年富士登山をしてきた。東北の高校生に登ってもらう企画と旅行業者の研修登山だ。当時も外国人登山者の姿は目立って多かった。国籍人種を問わず共通しているのは薄着で軽装備だということ。しかし、独断偏見かもしれないが年配の台湾人登山グループは概ね適切な準備をしているように見えた。3千メートル峰がひしめく島国台湾の登山者には経験則があるからだろうか。

会社を完全引退してから、「何、しているの?」と登山仲間から聞かれることが多くなった。「商業登山」から「趣味登山」に切り替えるため、日本山岳会(公益社団法人)の会務に関わることが多くなった。山岳旅行業と日本最古で最大の山岳会である日本山岳会は相いれないところがいくつかある。端的に言えば、山でメシを食う商業化への潜在的な抵抗感だろう。しかし、共通しているところもたくさんある。山での事故をなくすこともそうだ。

商業登山の集団である日本山岳ガイド協会(公益社団法人)の認定ガイドは2千人を超える勢いだ。20年前の発足当時に比べればより信頼性は高まっている。旅行業のツアー登山事故減少にも貢献している。日本にも「人が人を山へ案内する仕事」がやっと根付いてきたと言える。

ガストン・レビュファは、「星と嵐」で、「ある日、山で生きようと覚悟を決めて、ガイドになった。」と述べている。雲上人レビュファに比べれば私の登山や仕事の実績など、まったく足元にも及ばないのだが、好きこそものの上手と一芸に秀でることだけをめざしてきたわけだから、後期高齢者まで1年半となった私の行く末は、山とは切り離せないのだろうと覚悟を決めているところである。
                                         (口先クライマー 黒川 惠)

※写真1 アサバスカ峰(3491m)(カナダ・アルバータ州)
※写真2 東北の高校生と(左端)(富士山富士宮口頂上)
※写真3 ホテル・アンプルナ・ビューのスタッフと(中央)(ポカラ・サランコットの丘)
 

著者:黒川 惠(シニア会員)

掲載日:2023年12月15日