Voice 旅の醍醐味は「人」との出会い
   思い起こすこと遥か20~30年前、今よりもっと世界を旅して歩いていた。

 当時、私は外資系クレジットカード会社の与信管理部で女性第一号の課長にと任命され(この時ばかりは逃げられなかった)、朝から深夜までの激務。何が何だかてんてこ舞いの新米課長に「休みは取れ!」と会社は言う。

 ブータン、ウズベキスタン、イラン、イスラエル、トルコと年に数回、学生時代に訪問したアジアやヨーロッパと違う「味の濃い」国にはまった。一眼レフと、時に6×6を携えていつも一人。ところが贔屓にしていたフライングラビットは消滅し、私も旅に時間をさけなくなった。

 あの頃の旅は、忘れられない記憶、素晴らしい人達との出会い、かけがえのない時間だった。イラン人ガイドのナミさんは今頃どうしているのだろう?時折そんなことを思い出す。イラン観光の偉い方だったと記憶している。バス移動ではイラン音楽の解説がつき、ナツメヤシを見つけては畑からもいで来て、時に政治・経済や文化の話しにまで及んだ。バスを降りると沢山の女子学生に囲まれ「Are you a Oshin?」で、当惑する私を遠くから笑って見ていた。

 ブータンのガイドも忘れられない。絵画に興味があると知ると、色々な画廊を巡ってくれた。その後、文通もしながらお互いの絵を送りあった。その絵は我が家で今も輝いている。

 イスラエルでは現地に住む日本人牧師さん一家の長男がギリギリの所まで案内をしてくれた。衝撃の話に聞き入りながらシナイ山の朝日を浴びた。ご一家は元気でいるだろうか?

 現地の「人」との真なる交流は人生を豊かにしてくれる。生きる力を育んでくれると言ったら大袈裟だろうか。当時の私は旅する度に元気になった。

 旅育で著名な方の記事に「どこで何をするか?」が旅育の本丸だと書かれていた。私はこの歳になっても「旅で教育」されると感じる。とりわけ「人」を通して見聞を深めることが旅の神髄だと思っている。それはとりもなおさず自分への投資かもしれない。

 コロナは明けたが日本人の海外渡航は未だ微増に推移している。世の中で言われている為替や高運賃の影響も大きいだろうが、実はそれ以上に、旅をすることで得られる旅本来の魅力がきちんと打ち出せていないのではないか?とも危惧する。

 親しい友人や親戚に会いにいくように、世界中を駆け回ってもらえるように、これから益々の精進を続けたい。旅の醍醐味は「人」との偶然の出会いではないだろうか。偶然は必然である。多くの日本人を世界中にお送りすることが私達の使命。海外も多くの日本人を待ちわびている。
 

著者:萬年良子(ベルトラ株式会社)

掲載日:2023年06月08日