Voice 二代目
 先代から二代目のバトンを受け継ぎ早いもので来年10年目。また来年は弊社創業40周年の節目の年だ。ここに至るまでに新型コロナウィルスが世界に蔓延し創業以来最も困難な時期を経験した。これを乗り越えたからと言って次のウィルス禍を乗り越えられる保証もない。今後益々不確実性が高まる世の中であっても事業を飛躍させそしてベストなタイミングで私も継承しなければならないと考えている。

 私が事業承継した時期と時を同じくしてこれから紹介する2社も創業者から二代目へと経営交代を行った。まず、1社目はクルーズ事業に本格参入し市場を席巻する「ジャパネットたかた」である。
2社目は、ヤマダ電機の傘下となった大塚家具。この2社をファミリービジネスの事業承継という視点で見ると成功と失敗に色分けできる。それらの要因を分析したので共有したい。

 私はファミリービジネスというものは経営という襷を繫いでいく駅伝だと思う。ただし、ゴールのない駅伝だ。二代目は駅伝に例えると「花の二区」であり最も長い距離(時間)を走らなければならない。
ここでの1区とは、創業者の築いた原理原則である。この流れをキープしつつ、さらに組織(集団)や業界を引っ張っていくことが二代目社長に求められる役割だと思う。その重要な役割を担うエースであるために日々努力を積み重ねるのである。往々にしてその期間は長くなるため駅伝で最も長い距離を走る二区に例えることにしている。

 そして、先代が築いた基礎を二代目が時代に合わせ変化させ発展させたのち三代目に継承する。
企業の最終的なミッションは「永続」。最終目的から見ればファミリービジネスの成功と失敗を比較したとしても、その次の世代で巻き返すことができれば目的は果たせる。成功と失敗は紙一重だ。そのくらいの覚悟をもって二代目は挑戦しなければならない。2社の事例はそんな挑戦の経緯でもある。

事例1:ジャパネットたかた
 カリスマ創業者のやり方を継承するだけではなく競争優位の源泉である「見つける・伝える・磨く」を更に進化させた。親子間の事業承継の場合、二代目は何かと先代のやり方が時代に合わず古臭いと感じてしまうものである。しかし、顧客・従業員は長年の間先代社長のやり方に慣れている。そのため急な変化は心理的な負担となる。石の上にも三年ではないが、三年間は先代社長のやり方をそのまま踏襲すべきだろう。
 その点、ジャパネットたかたは大きな方針転換はせず競争優位の源泉であるサービスを見つめ直し磨きをかけた点が成功要因だったと言える。また、同社は世の中に眠っているサービスを見つけ伝えるという方針のもと旅行事業に新規参入。なかでも事業の中心に「クルーズ事業」を置きイタリアの豪華客船を日本に誘致したのである。旅行大手がこぞって脅威と感じるインパクトをクルーズ業界に残した点でジャパネットたかたの挑戦は大成功でありうまくいった事業承継だったと言える。

事例2:大塚家具
 プロキシーファイトの末に二代目社長が復帰し、先代社長は会社を去った。本来、二代目を全面的にバックアップする立場である創業社長が経営方針の違いにより会社を去ることはファミリービジネスにおいて失敗事例の典型である。二代目の久美子社長は、勝久氏の経営方針を真っ向から否定。高級路線から中価格帯に商品ラインナップを一新し会員制を廃止した。大塚家具の競争優位の源泉である「専門スタッフによる丁寧な接客スタイルで海外の高級家具を扱う会員制店舗」から「誰でも手の届く価格で親しみのある店舗」にコンセプトやロゴまで変えてしまった。この点においてジャパネットたかたとの比較ができる。
 その後、創業の地である春日部本店のビルを手放すこととなる。親子喧嘩によるブランドイメージの悪化もあり株価が低迷。中国企業との提携も進めたが業績は一向に回復せず、最終的にヤマダ電機の傘下となった。こうなるとファミリービジネスそのものは終焉を迎える。もともと久美子社長は未婚であり子供も居なかったので親族間の継承は考えていなかったのであろう。本来、勝久氏としては長男の勝之氏を二代目社長にし、その息子を三代目として考えていたに違いない。創業者の考えは創業者にしか分からないが、ファミリービジネスが途絶えてしまう点からもうまくいかなかった事業承継である。

 二代目は三代目と比較すると創業者と接する時間も長く創業精神も継承しやすいはず。2社の事例は、異なる業界の話かもしれないが事業承継の難しさを物語っている。世間では二代目が会社を潰し、三代目が会社を滅ぼすと言われている。私は、そんな二代目にならぬよう創業者の汗が染み込んだ襷をしっかりと締めて走り続けたい。

著者:松浦 賢太郎(クルーズのゆたか倶楽部株式会社)

掲載日:2023年05月25日