Voice 追憶とサス旅
 母の出身は青森県十和田市なので私が幼少の頃は毎年夏休みになると上野発の夜行列車で、しかも蒸気機関車の寝台車で約12時間かけて三沢駅まで行った。当時の列車はダイヤの乱れもしばしばあり、中間地点の仙台駅で福島の銘菓くるみ柚餅子や冷凍みかん等の食料を調達した。蒸気機関車の煙はトンネルの中は勿論、車窓のわずかな隙間から煤が侵入し顔や服が汚れるのは当たり前のことであった。汚い話だが、当時の汽車のトイレは水洗であったが汚水はそのまま線路上に流していて、駅に停車中はトイレを使用してはいけないというルールがあった。故に私は今でも列車に乗った際、駅に停車中はトイレを使う事は憚ってしまう。当時は水しぶきを上げて疾走している機関車の雄姿を目にするたびにその恰好の良さに感動したが、同時に線路を保守する人達を気の毒に思っていた。
 三沢駅からは2012年に廃線となった十和田観光電鉄で母の育った街にある十和田市駅(当時は三本木と言った)まで行き、そこでやっと宿で寛ぐことが出来た。私はダークブルーをした青森の海が大好きで、十和田を訪ねる度に母や祖母にわがままを言って海水浴に連れて行ってもらった。太平洋側の三陸海岸から海沿いに北上したところにウミネコが群生する蕪島と種差海岸があり、海は太平洋の波が押し寄せ荒々しく北国の貴重な夏の日差しが波間で屈折してナイフのきらめきのような光が瞼の裏側に残っている。あと一か所好きな海は、十和田市中央からバスで内陸の国道四号線をまっすぐ北上し、七戸町を通り越し陸奥湾に面した野辺地駅にある小さなバスターミナルでさらにバスを乗り継ぎ、やっと到着出来る夏泊半島の基部に位置する浅虫温泉だった。浅虫温泉は青森の奥座敷と呼ばれ、幼い私は水族館で遊び、水族館通リにある永井というお店で作っている浅虫銘菓久慈良餅(くじらもち)でお腹を満たし、近くの海岸で泳いで、宿の温泉に浸かり子供心に安らいだ気持ちになったのを覚えている。祖母と母が常宿にしていたのが海沿いの旅館南部屋さんであった。ここまでくると方言は津軽弁で、十和田市は同じ青森でも南部なまりなので地元の人達と祖母や母がうまくコミュニケーションできていない様子を見て、幼かった私はまるで外国にいるように感じた。

 想いで話が長くなったが、昨年9月のコロナ禍真只中、半世紀ぶりに浅虫温泉に行ってきた。主な目的は十和田市にある先祖の墓参りだが、半分は最近思っている「旅行者にとってのサスティナブルな旅とはなんぞや」ということを考えてみたかった。それというのも、サスティナブルに関しては、たとえば徳島県勝浦郡上勝町では2003年に自治体として初めて「ゼロ・ウェイスト」(廃棄物ゼロ)宣言を行った地域で「ゼロ・ウェイスト」を体験できるホテルもある。また、航空業界ではジェット燃料をSAF(持続可能な航空燃料)にして既存の燃料の代替えが研究されている。これらは主に事業者や自治体の目線で取り組まれているものだ。私としては旅行者目線でサスティナブルな旅とは何かという、獏とした思いを抱いていた。ブッキングドットコム(2019年)調査の中で「よりサスティナブルな旅行を行うためにすべきことを理解しているか」という質問に対し、「はい」と回答した世界の旅行者は50%に対し日本の旅行者は28%という結果だった。日本においては旅行者が持つ旅のサスティナブルという意識は、まだあまりはっきりと持たれていないようである。

 さて、今回の旅は昔と同じルートでは不便極まりないことから、三沢空港からレンタカーで奥入瀬を上り十和田八幡平の酸ヶ湯温泉を通過し、今はアントニオ猪木さんの眠る蔦温泉を左に見て、ビロード赤に染まった紅葉のトンネルを駆け抜け国道103号線を一気に海まで下った。宿は勿論南部屋さんを選んだが、今は昔の建物は取り壊され、お隣の敷地で南部屋海扇閣として営業していた。建屋は既に残っていない旧館よりは新しいものの最新の旅館に比べると古さを感じた。しかし、それがまた心地よい、館内は隅々まで掃除が行き届きピカピカで、可能な限りだと思うがしっかりリニューアルされていた。展望大浴場も綺麗に保たれており眼前に昔と変わらぬ穏やかな海が広がっていた。スタッフの皆さんは津軽弁で親切に気持ちよくもてなしくれ、ロビーでは津軽三味線と津軽弁の歌声が響いていた。地元の食材をふんだんに使った海鮮料理も旨かった。
 コロナ禍で旅館業は厳しかろうと思いながらの滞在であったが、昔と変わらぬ雰囲気ともてなしは幼少期にタイムスリップしたような安らぎを与えてくれた。きっと、旅館の皆さんが一丸となってコロナ禍を乗り切ろうと、全力の努力から湧き出る自然体のもてなしや文化が気持ちとして伝わってきたのではないかと思う。

 サスティナブルは今あるものを将来に向けてどう守ってゆくかということだけでないのではないか。旅人の記憶と毛細血管のように消えそうになりながらも息づいてきた文化・自然が融合した時の懐かしい感動は、真にサスティナブルを感じさせる。私にとって、これこそ自分だけが経験できたサスティナブルな旅、「サス旅」だと大満足な青森旅であった。

 次回は海外を黄昏ながら「サス旅」してみよう。

著者:大野 幸郎(東京海上日動火災保険株式会社)

掲載日:2023年02月16日